TOEIC受けた(Listening & Reading)
6月にtoeic受けた結果をネットで確認しまして、
B1 630 (大学受験後、ちょっと形式慣れの練習した)
B2 560 (1ヶ月の語学留学から半年)
B3 650 (海外ドラマにハマってた後)
今回 855 (入念な準備)
でした。
学部の時のは学校でやった非公式(IP)なやつです。
これやったら800点!とかいう胡散臭くはないけどそれ元からできた人でしょ?とか元の能力がどれくらいかってのに依存する部分もあるんじゃないかと思われるのでプロフとやったこと書いてみます
大学はMARCHレベル
英語は苦手でもないけど勘でやってきた感じ
です
4ヶ月前
色々調べました。このサイトが一番参考になりました。
という感じで単語をやり始めました。金フレです。のんびりやりました。
ここで私はスマホがAndroidなのでabceed analyticsというアプリを活用しました。紙の本で単語を覚えるのが慣れているという人もいるかもしれませんが、間違えた部分の復習とかに便利です。後listening & readingなので基本的にかける必要はありません。書いた方が覚えるというのはあるかもしれないですが、まぁ間違えた部分抽出してやったり問題集やれば文脈とかで覚えられると思います。
2ヶ月ちょい前
文法問題出る1000問やり始めました。単語をどれくらい知ってるかとか文法とかどれくらい得意かとか人それぞれかとは思いますが、個人的にこの文法問題を見ていて穴埋めだから解けるけど文の意味はワカンねぇ、意味が取れないのもあるけど予想以上にビジネス的文脈とかがつかめない感じありました。というか文を解釈する能力が足りてなかったのはありますね。
これも間違えた問題の復習とかやりやすいようにabceed analyticsを活用しました。1000問はそれなりにボリュームありますが、まぁ地道に。試験直前くらいに終わりました。
1.5ヶ月前
Readingは時間が勝負!みたいな言説はよく聞くけど前にやった感じからしてもあれ全部とくの無理だなぁ、体力が無理だわぁ、みたいに思っていて、いっそのことReadingはまぁまぁでいいからListeningで450くらい取ろう!みたいなモチベーションが湧いてきました。上のサイトはそう思って見つけた感じあります。
んで2.5倍から始める鬼速リスニングをやりました。これは新しい本じゃないので新形式対応ではないのですが、まず単語を聞き取らないことには始まらないのでとにかく1ヶ月やりました。これでかなり耳ができました。上のサイトであるようにまずは大人のですが、以前英語耳は読んだことがあってまぁまぁ発音はわかるつもりだったので飛ばしました。
これやってとにかくよく聞き取れるようになったというか落ち着いて取り組めるようになります。質問文を先読みとかリズムも作りやすくなります。問題集でのチューニングも必要ですが、耳を作らないことにはしょうがない。
ただ対策しきれなかったのが弱形です。よくわかってないんですが、himがヒムじゃなくてィムになるとか単語の発音にも強調するのとほとんど発音しない弱い形とで発音は一通りじゃないよ、みたいなやつです。
まぁそれはさておき、でもでも、鬼速リスニングの1.5倍でシャドーイングするとあれなんですね、スピードに追いつくために音声を何回も聞いて「この音発音してないやん!」「この音発音してる暇ないわ!」ってなって弱形みたいなのが多少体に染みていたんじゃないかな?と思ってます。
この本はおすすめです。結局本番ではListeningが440点でした。
そんな感じで1ヶ月前
徐々に公式問題集を使ったりしながら本番の形式に慣れていきます。鬼速リスニングで講師も話してるんですけど、まぁパターンはそれなりにあると。物は壊れるけど、カスタマーサービスに電話すれば素晴らしいクレーム対応は当たり前。業績は常に好調。新規事業の立ち上げ、売り上げ達成のパーティー、お店の予約も必要だ、などなど。
まずは普通に公式問題集を使いました。これを三回チャレンジ法ってやつやりました。ここでマークシート塗るのめんどくさいですよね?ということでまたまたabceed analyticsを使いました。これならマークするのもワンタッチ。採点するのもあら簡単。答えを見ないで点数を把握できるので三回チャレンジ法と相性がいいかと思います。
公式問題集だけだとちょっと量的に物足りなかったので至高の模試600問をやりました。アマゾンレビューにもありますがこの本は公式問題集より若干レベルは高めだと思います。リスニングは本番より若干早めな気がします。リーディングも若干読みにくいというか裏取りしないと外す問題とか「え、この消去法厳しくね?」「えまじ?」みたいな問題もあったと記憶しています。
著者は三回チャレンジ法の提唱者?だったか忘れましたが、私はamazonプライムに入っているのでこちらの本はPrime Readingで無料で利用できました。Kindleとかで読めるってやつですね。でもKindleでは画面が小さいのでブラウザのKinldeReaderでの表示をモニターに映して取り組みました。
パソコンでページめくって、またまたスマホのabceed analyticsでマークをつける。非常に現代的な気がします。多分toeicしている人の中でトップクラスに紙とペンから遠いと思います。
そんなことを言いつつやはり本番はマークシートを塗らなきゃあかんのですね。これに関してはやはり上記のサイトを参考にマークシート専用シャーペンを購入しました。1.3mmだったかなやはり素早く塗れる気がしました。それまでシャーペンで塗る機会はなかったからろくな比較はできませんが。
そして当日は13時から試験がスタートだったので、やはり上述のサイトの通り10:30すぎにredbullを飲みました。Listening440にはこいつが寄与していると考えるのはあながち間違いではないでしょう。そんなに取れた気しなかったけどなぁ。
こんな感じで色々ありつつ一番心配していたのは受験票の送付などですね。場所によって毎月のやるのか隔月なのか頻度違ったりもします。toeicの申し込みは試験日の1ヶ月以上前にやらなきゃいけなかったように思います。住所を間違えるとやばいです。当日顔写真付き身分証がないとやばいと思います。土地勘がなくて地図が苦手という方は会場までの道のりを確認しておいてもいいかもしれません。会場はできるだけ近いところにしてはくれると思いますが、自分では選べませんので。
自分で模試やったときは8割がいいところだったからRedbullの力は偉大だと思います。100点くらいはレッドブル。まぁそれなりに用意周到に準備したからそれなりの結果でしょうか。準備なしで留学から帰ってきた人の850点とは質も違うでしょうがまぁスコアはスコアです。
総費用
受験料5700円くらい
参考書
金フレ1000円
鬼速リスニング1000円
文法でる1000問2000円
公式問題集3000円
至高の模試600問 Prime!!
証明写真800円
レッドブル250円
交通費400円
合計12000円くらい?
現場からは以上です〜〜
わかる...? とは...?
最近
って本を読みまして"わかる"ってのが"わかった"気がしたんですよ。脳科学っぽい気はしなかったけど。ってことで自分なりの知識加えたりしながら整理。
わかるとは
端的に言ってしまえば、区別すること、分類すること、差異を見出す認識すること、って端的に言ってないですね。
つまりつまり、"分かつこと"。
例としてスマホをあげてみょー。
Q. スマホってなに?
スマホはまぁ携帯電話でしょうなぁ。
Q. じゃガラケーも携帯電話でしょ?
確かに、でもスマホはアプリがある!それにタッチスクリーンも!パタンって折り畳めるやつがガラケー!
そう考えて見ると何が違うのか自分でもあんまりわかんない。もうガラケー使ってないからガラケーとスマホの違いを忘れたのかガラケーの進化を知らないのかとにかくよくわかんない。強いて言えばやっぱOS?iOSとかAndroidとか。
もう一つ例を挙げりゅ。
Q. 積分ってなに?
線とかで囲まれた空間の面積を求めるあれ
Q. じゃあ縦×横で長方形の面積を求めるやつも積分?
と言われると。。。インテグラル出てこないし。。。
などとなるとやっぱり積分についてどこまでわかっているのかと疑問になるのかならないのか。
(なお、縦×横は積分の特殊な形でy=(縦の長さ)を区間(横の長さ)から0で積分したものと言えます)
ここで自信がないのと自己防衛と理解促進と色々兼ねてかくと、「積分はそうじゃない!」みたいな指摘が飛んできたとしてそれが正しかったら、自分の「わかった」はしょぼかったというのか、程度の低い「わかった」だったということですね。
それに積分は何やらリーマン積分とルベーグ積分があるとか一昨日知りました。その区別も含めれば上述のはリーマン積分になります。ルベーグ積分は説明できるほどわかってないです。
分かつだけでOKなのか?
ここで"心像"という言葉を使っていきます。心像ってのは心に思い浮かんでくる現象です。現象って何かってなっちゃうともなるので、現象はイメージとかでもいい気がします。
わかっているってのは心像を浮かべられる、イメージできることだと思います。んでその心像を自由に呼び起こせるというのか引き出せるってのが記憶しているってことに当たります。
んでここで考えたいのが、例えば「悲しい」ってのはイメージできると思うんですよ。泣いているとか顔の表情で。でもそれってすごくないですか??
でも、「常住座臥」って言われてすぐイメージできる人はそこまで多くいないと思うんですよ。でもこれ意味難しくない。いつも、それでオッケー。
じゃあ「わびさび」とかどうすかね。正直自分はあんまわからない。なんとなく「あ、わびさびっぽいな」みたいな感覚になる時はあるよりのないんだけど、この三つで考えて見ても、やっぱり普段日常的に使う言葉だとか概念ってわかるしイメージしやすいですよね。
思うのは、普段使っていればなんとなくイメージできる。でも使わない言葉はもちろんイメージできない。使うことはありそうでもちょっと抽象的だとうまくイメージできないとか。
生まれた時を考えてみれば何も知らなくてただただ視覚にイメージが焼き付けられ、音という振動が伝わってきて、なんかちょっと匂いがして、あ、触った感触ってこんなのか、と世界を知覚していくわけですね。
そう考えてみれば、上にあげた「悲しい」とか「わびさび」とかすごい抽象的ですよね。人間はまず物から認識し始めたんでしょう。あと感触か、うんち気持ち悪くて泣くみたいな。そんであるものや物体を度々認識するたびにそれが心象として記憶されていく。
ここで重要なのは、対象はお母さんかもしれないし、哺乳瓶かもしれないし、おもちゃかもしれないけど、とにかくそれを色んな角度から眺めて視覚に焼き付けるってことだと思います。
また図形を出しますけど、丸を見た後に、長方形を見て、それが何かと聞かれたらそりゃ丸は丸だし、長方形は長方形だと思うんですけど、それが立体だったら、ちょっと角度が変わったら、それは円柱だったとわかりますよね。
円柱をある特定の角度から眺めた時に、長方形だったり丸に見えるみたいなね。この例はアウフヘーベンを説明する時のわかりやすい例だと思ってます。アウフヘーベンは止揚とも言いますが、対立・矛盾する二つの意見を調停する形でより高次の概念として統一するみたいな意味です。ここでは「これは丸だよ!」っていうのと「いや、これは長方形だ!」という意見を統合するものとして「二人とも、これは円柱なんだ」という流れが想像されます。
さて、そんな感じで世界を知覚して物事の心象をどんどん獲得していき、知覚したものが自分の中の心象と一致させる、つまり同定する能力もどんどんついていくわけですねぇ。この同定ってのは、物事を区別してそれがそれであると認識することなのでわかるに近いと思います。
さらにさらに、抽象的な概念、感情とかを考えていくにあたっては、今までに獲得した心象を用いて「あ、これはこの感じに近いな」とか「あ、これはあれとあれの中間くらいの感じだな」とか自分の中の心象と相談して色々な感覚を新たな心象として記憶していくわけですね。
こうして色々な物事や感情を分類することができれば、分かつことができているわけですから、わかっている、に近づいているんでしょう。
わかりやすいって
んで、色々知覚して違いを認識すればわかる、と思いきやそうでもないような気がするのが、勉強とかで覚えることでしょうか。なぜ漢字が覚えられないのか。文法が覚えられないのか、数式がわからないのか。
それはまずイメージができていないというのが一つ可能性としてあるかと思います。
もう一つはイメージもできた、でもなんか心象として記憶に残らないみたいなパターン。
前者からいきまーす
イメージができないというのは物事を一側面からしか捉えていなかったり行間がはしょられているからとかではないかと思います。下記の説明はどうでしょうか。
実存:主観とか客観とかに分けてとらえる前の、存在の状態。ここに今あるということ。
我思うゆえに我あり?でもそれは結構主観的じゃね?と思ったり
んで補足説明
実存=現実存在の略
実存の反対は本質存在
実存主義とかいう哲学思想を説明すると、人間とは?みたいなことを定義しようとしたりしてるけど、それって人間は息してて歩いたり食べたり飲んだり会話したりとか色々な要素を抽出して共通する部分を集めて「これが本質です!」みたいにやってもどの人間もこの世界に実際に生きている一人の人間なんだよ!じゃあ死んだら人間じゃないんですか?喋れないとかで会話してない人は人間じゃないんですか?そんな風に本質に人間をやり込めるなんて無理なんですよ!もっとちゃんと目の前にいる現実に存在している人間を見て!みたいなやつ
って感じに言ったらなんか実存って多少は伝わったんじゃないでしょうか、多分間違ってる部分もあると思うけど、なんかイメージできたんじゃないでしょうか。
ただ
主観とか客観とかに分けてとらえる前の、存在の状態。ここに今あるということ。
と言われるんじゃなくて、いろんな側面と言いますか、言葉を尽くして記述されるとそ中から共通する部分を頭が抜き出して概念を構成してくれてわかった感じになるんじゃないかと思います。
そうなるとやっぱり具体的ってのが一番ですよね。具体例あるとやっぱりいい。ベンゼンってなに?ってなったらグーグル先生に画像を見せてもらえばいい。炭素原子で正6角形が作られてるやつと言われてもうーん、わかる人にはわかるけど。
やっぱ画像ですよ!イメージっていうほどだから。
(文章が雑になってきた)
わかっていたら人に教えられるとかいうけど、それもやっぱり正しくて理解できない物事を理解してもらうためにいかに色んな視点から物事を見ることができるか、視覚的に表現することができるか、とか色んな要素が詰まってる。自分で試す分には図示して見るのが良きかなと。
そうだ、わかりやすさに関して、これは誰にとってわかりやすいかっていう人に依存する部分が大きいと思うので「わかる!〇〇!」みたいな本は幾分か傲慢だと思います。対象読者が明確ならまぁまぁいいか。
わかるためにどうしようか
じゃあ私たちはどう勉強するべきなのか。それはもうまずは本読んだり動画見たりね。そんでわかんないところがやっぱり出てくると思うからそこをじっくり読んだり。それでもわからないってことはよくあると思う。そしたら別の本を読もう!ネットで調べよう!(「〇〇 わかりやすく」ですね)そんで色んな言葉とか画像とか映像とかで色んな角度から対象を眺めて「これはこういうことか!」「この時はこうなるのか」「こういう解釈の仕方もありだな」とかやるといいんじゃないでしょうかね。難しい概念とか哲学用語だったら、まぁ平易な言葉で書かれた本を読んでざっくりとしたイメージを掴んでから読むとか何回も読んでみるとか、わからない言葉が違う文脈でどのように使われているかとかやっぱり色々な角度から眺めて見るのがいいように思います。それでも哲学書は文が破綻しているんじゃねぇかと思うことがあります。
あとはあれですねぇ。周辺との関連を考えるとか。色んな角度から眺めるのがある意味、その対象となる物事の内的メカニズムを調べ原理を明らかにするように「これがこう機能して〜」「あの時はああなって〜」みたいな。一方関連を考えるのは、対象を客観的というか広い視点で見たときにそれが全体の中でどのように使われたりどのような意味を持っているのか、他のものと関連して実はこんな構造になっていたとか、そういう発見が重要に思います。
微分ってなんの意味があるの?と言われたら、生物の個体数の増加は個体数に依存するので指数関数的に増えるよってのを考えると(どっかで頭打ちにはなるんだけど)こんな感じでしょう
微分=変化量を個体数に依存すると仮定し方程式を立てることで右下のグラフのように未来を予想できる(例は雑ですが)という使い方ができます。ネイピア数ってなんの意味があるのってなったとき、こういうところに出現します。logもなんの意味あるのって言われたら右下のグラフをログスケールで表示する(左下の式の状態で縦軸にlog|x|をとって横軸にtをとる)と傾きがkの直線になります。
応用を知ると「あ、こう使われるのか!」みたいな例になってればウレシス。
あと、最後になっちゃったけど、やっぱ復習しないとあれっすね。暗記とかダサい。これは確か。でも暗記ってのはある意味丸暗記を意味していると思っていまして、暗記ってのは意味内容をきちんと理解していないってことに思える。テストで書けるようにその形式で覚えるみたいな。
と批判して見たものの、最初は暗記でもいいから復習したりして覚えるのがいい。できるだけ複数の視点から眺めたり他の関係性とか意味を考えると自然に覚えられるような気がするけど、とりあえず覚えるしかないこともある。
より発展的なことを考えるには暗記してるなんて当たり前。頭の中に浮かべられない概念を操作して新しいことを考えるなんてできますかね??数学で定理を覚えなくても周辺との関連性がわかって式とかをスラスラ導出できるならそれでもいいと思う、意味は抑えてるわけだから。
だから言ってしまえば、暗記は意味を獲得してそれを自分の頭の中で有機的に結びつけて思考するための最初の基本ステップだと思う
そんな感じで日々勉強しています
習慣
人間には恒常性(ホメオタシス)が働いている、今の状態を維持しようとする傾向、体温がどんどん上がり続けたり下がり続けたりしないように
三日坊主という言葉があるように、人間何かやろうとして始めてみても続かないということは往往にして起こりうる、されども大抵のことは1日にしてならず、転じて継続は力なりなる言葉が思い出される
これも恒常性によるものでしょう。元に戻ろうとする力。作用反作用みたいに何かやろうとして力を使うとそれと同じだけの力で押し戻されるみたいな。特に何かを得た感覚がないと押し戻されてもう一度取り組もう、継続しようという意欲が湧かなくなる
じゃあやる気が出るように餌を与えてやろう。ご褒美にアイスを食べることを自らに許す。まぁそのアイスも飽きてくるというか人間の怠慢力というのは凄まじく、できない理由をいとも簡単に生み出してしまう。
じゃあどうすればいいかと言うと、やはり非常に簡単なことから始めることでしょう。大きな鐘を揺らすのにヨイショーーーーーー!と押すのは大変だけど、指一本でも押した時の振動に合わせて押していけば共振してその振幅は大きくなる。まぁ続けなければ空気抵抗みたいなので徐々に元に戻る。
何かに取り組まずしてその上達は見込めないことは明白だが、自らを無理やり何かに向かわせてとりあえずやっていれば上達すると言うわけでもない。何かをやらなければならないと言う固定観念を捨て去り、気が向いた時にやっていこうみたいな考え方をするところから始めたら良いんじゃなでしょうか。
でも、そんなことを言っていたら遣る瀬無い。それに気が向いたらって気が向かなかったら終わりだーーーってなる。だから最善の方法は習慣化するための習慣を身につけることなんだろうけど、それが難しい。
大概の場合は、バイトもしない学生でもなければそれなりにやらなきゃならんことがあって自分の時間を適切に確保することができないことが気が向かないことの一因かと思われる。だからまぁタイムマネジメントができると良さそうみたいなことは言える。他の誘惑を断ち切ることも良さそう。
何をやるかと同じくらい何をやらないかが大事というのは、この時間の有限性とその裏返しとしての時間は配分することしかできないということを示唆している。
何か目的のために何かを学ぶだけじゃなくて最終的には学びそれ自体に楽しさや面白さを見出せるといいですよね
ここまで書いてみたもののまとまりがほぼほぼない
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唐突に始めます
もはや現代を生きていく上で学ぶというのは避けて通れない行為となりつつある。巷では「学びなおし」という言葉がはやるくらい知識や技術は廃れ新しく効率的なものへの新陳代謝が進んでいる。と考えると"何を学ぶか"と同時に"どのように学ぶか"ということがもっと議論されても良いのではないか。
プログラミングが小学校で教えられるようになるなんて話がある。自分もプログラミングは独学してある程度のことができるようになったがその道は険しかった。というのが言いたいのではなく、その過程において道が険しいとはどういうことかを掘り下げる。
一つは単純に新しいものを誰かから教わることなく自分学びとる、プログラミングに限らない単純かつごく一般的な難しさ。二つ目もプログラミングに限らないのだが、プログラミングで顕著であると思われることとして、例えば「C言語 入門」などという本があった時にそれが全然入門レベルではない、初学者にとってはレベルが高いという現象があること、埋まらぬ行間の存在があげられる。
でも考えてみればそんなものどこにだって存在しているし、これからいくらだってぶち当たる壁といって差し支えないと思われる。今まで英語数学国語理科社会その他大学での専門科目など、様々なことを学んできたはずだが、なぜかこと学ぶということに関してはほとんど無知に思われる。
受験勉強のための勉強法などというものは出回っているし塾などではメソッドとしてある程度確立されている。でもそれってそんなに汎用性高いのでしょうか。時間は有限で配分することしかできない中で自らの世界を広げ新たな領域へと踏み出していく方法を探っていこうかと思ふ。
というわけで今日はtoeicを受けて一息ついたところでしたとさ