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学びについて

習慣

人間には恒常性(ホメオタシス)が働いている、今の状態を維持しようとする傾向、体温がどんどん上がり続けたり下がり続けたりしないように

 

三日坊主という言葉があるように、人間何かやろうとして始めてみても続かないということは往往にして起こりうる、されども大抵のことは1日にしてならず、転じて継続は力なりなる言葉が思い出される

 

これも恒常性によるものでしょう。元に戻ろうとする力。作用反作用みたいに何かやろうとして力を使うとそれと同じだけの力で押し戻されるみたいな。特に何かを得た感覚がないと押し戻されてもう一度取り組もう、継続しようという意欲が湧かなくなる

 

じゃあやる気が出るように餌を与えてやろう。ご褒美にアイスを食べることを自らに許す。まぁそのアイスも飽きてくるというか人間の怠慢力というのは凄まじく、できない理由をいとも簡単に生み出してしまう。

 

 

じゃあどうすればいいかと言うと、やはり非常に簡単なことから始めることでしょう。大きな鐘を揺らすのにヨイショーーーーーー!と押すのは大変だけど、指一本でも押した時の振動に合わせて押していけば共振してその振幅は大きくなる。まぁ続けなければ空気抵抗みたいなので徐々に元に戻る。

 

 

 

何かに取り組まずしてその上達は見込めないことは明白だが、自らを無理やり何かに向かわせてとりあえずやっていれば上達すると言うわけでもない。何かをやらなければならないと言う固定観念を捨て去り、気が向いた時にやっていこうみたいな考え方をするところから始めたら良いんじゃなでしょうか。

 

 

 

でも、そんなことを言っていたら遣る瀬無い。それに気が向いたらって気が向かなかったら終わりだーーーってなる。だから最善の方法は習慣化するための習慣を身につけることなんだろうけど、それが難しい。

 

大概の場合は、バイトもしない学生でもなければそれなりにやらなきゃならんことがあって自分の時間を適切に確保することができないことが気が向かないことの一因かと思われる。だからまぁタイムマネジメントができると良さそうみたいなことは言える。他の誘惑を断ち切ることも良さそう。

 

 

何をやるかと同じくらい何をやらないかが大事というのは、この時間の有限性とその裏返しとしての時間は配分することしかできないということを示唆している。

 

 

何か目的のために何かを学ぶだけじゃなくて最終的には学びそれ自体に楽しさや面白さを見出せるといいですよね

 

 

ここまで書いてみたもののまとまりがほぼほぼない

 

 

 

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